半田のカブトビールと赤レンガ工場


 明治のビール産業黎明期に、東京のエビスビール、横浜のキリンビール、大阪のアサヒビールという大都市をひかえたメーカーに伍して、カブトビールという名のビールが愛知県半田市でつくられていたということを初めて知った。


 半田市は江戸時代から醸造業が盛んで、現在のミツカン酢の礎となった中埜酢店の中埜又左衛門と、その甥であり後の敷島製パン創業者となる盛田善平らにより丸三麦酒株式会社が設立され、レンガ造の製造工場を妻木頼黄(つまきよりなか)の設計で1898(M31)年建設、本格的なドイツビールが製造されたのである。


 辰野金吾や片山東熊と共に明治期の建築界を担った妻木頼黄が設計者となった経緯ははっきりしないが、機械や醸造の技師をドイツから呼んでいることから、ドイツ留学後ドイツ風の洋式建築を手がけていた妻木との何らかのつながりがあったのだろう。


 丸三麦酒株式会社は後に大日本麦酒に合併されカブトビールは姿を消し、工場は食品製造会社に売却された後1994(H8)年には操業停止し、解体が始められていたのだが、市民の保存運動により市が買い取って、耐震補強工事の後今年の夏にカフェとショップ、展示スペースを併設した地域の文化・芸術活動の拠点として生まれ変わった。


 建物は棟続きではあるが大きく三つに分けられ、発酵・貯蔵室と事務室として使用された創建時の主棟(2階建一部5階建)、同じく発酵・貯蔵室とし主棟の北と西に増築された貯蔵室棟(2階建)、出荷作業を行ったハーフティンバー棟(平屋)から成る。建築基準法上の避難規定の制約があるからだと思うが、2階以上は一般には開放されておらず、利用できるのは1階部分のみである。


 主棟の東側外壁には解体された3階部分の跡が残っており痛々しさを感じさせる。操業時の写真をみるとこの失われた部分はかなりのボリュームがあり、外観全体のバランスからみても大変重要であったのだが、実に惜しいことをしたものだと思う。


 一定の温度・湿度を保つため、外壁は2~5層の空気層を設けた中空構造、屋根床は同じく2層の空気層を持つ3層のアーチ構造となっているなど、建築技術的にみても興味を引く部分がある。耐震改修工事はレンガ壁に鉄筋を挿入する他、鉄骨とRCによる補強を行っており、視覚的な違和感はほとんどない。ただアルミ製の建具や手摺はもう少しどうにかならないものだろうかと思う。この建物に限らないのだが、歴史的な建築物の改修の際にはできるだけ当時の材料を用いることが基本であろう。


 この建物は登録有形文化財の登録の他、近代化産業遺産にも認定されており、さらに半田市の景観重要建造物第1号に指定されている。半田市では旧中埜半六邸と彼の別邸である鈴木禎次設計の旧中埜家住宅が改修中で近々公開予定のほか、ミツカンミュージアムがこの秋オープンする。それ以外にも日本酒「国盛」の酒の文化館や童話作家の新見南吉の生家や記念館をはじめとして彼にゆかりのある地が近郊に点在していてなかなか見所の多い地となっている。


(写真は左から全景、主棟の東側外壁、中空外壁、カフェ、会議室)

(2015/09/25)