草津宿本陣

 草津宿は東海道と中山道が合流する交通の要衝に設けられ、東海道53次にならえば江戸より52番目、次の大津宿を経て京に至った。京から東に下れば、東海道と中山道の分岐点にあたるわけで、その目印となる追分道標が往時の姿のまま現在も宿の東端に建っている。


 草津宿には田中七左衛門と田中久蔵の二軒の本陣があり、現存するのは田中七左衛門本陣で、材木商を営んでいたことから「木屋本陣」とも呼ばれていたという。敷地は1430坪余、主屋は妻入り平屋桟瓦葺きで建坪460坪余、部屋数39室、268帖半を有し、旧東海道でほぼ完全に残っている唯一、かつ全国的にも最大規模の本陣である。ちなみに旧東海道で現存する本陣はここ草津宿と三河の二川宿の二か所のみである。妻入りというのはこのあたりでは珍しいと思うのだが、もともとの建物が1718年(享保3年)の大火により焼失後、膳所藩の御殿を移築したことによるのであろう。移築の前後詳細については残念ながらよくわからない。1996年(平成8年)に解体修理が終わり、現在一般に開放されている。


 建物は街道から向かって左側に座敷棟(宿泊棟)を、右側に住居棟を配している。座敷棟は表門から中庭、式台付の玄関間を経て、長い畳廊下の両側に広間(宿泊室)が設けられて、最奥が上段の間となっている。住居棟は土間と板間の奥に広い台所土間が続き、住まいの各間がこれに並列している。こうした配置はこれまでみた西国街道郡山宿本陣や二川宿本陣とほぼ同じであるが、上段の間に相対して向上段の間という格式を整えた間があることと、土間台所のほかに御膳台所という板の間の台所があること、及び湯殿が大変広いことなどが他の二例と異なる点ではないかと思う。全体的な印象としては郡山宿と似ているという感じを持った。


 湯殿は踏み込み部分が4帖の畳敷きで、湯船の置かれた部分は8帖の板敷きとなっており中央に細い排水溝が設けられている。計12帖の浴室である。夏はよくても冬はさぞかし寒かったであろうことは想像に難くない。それよりもこんなに広くては風呂でくつろぐ気持ちになれないのではないかと思うのだが、そもそも貴人の場合には付き人がいて一人で風呂に入ることはなかったのであろう。


 ついでというわけでもないが、ここの貴人用厠の小便器は木製で三角形状のものが壁掛けで設けられており、汚垂部分は竹敷きとなっており、機能的には何ら今日のものと変わらないのは何か不思議な感じがした。


 敷地内に併設された「楽座館」で落語や囃子を楽しむ会が定期的に開かれているなど、市民に親しまれているようで建築に携わるものとしてはうれしい気持ちがわいてきた。


 本陣宿の保存・活用という点はこれでよいのであろうが、惜しむらくは街道沿いの街並み整備がなされていない。市のまちづくり条例などがどのようなものになっているか未確認ではあるが、現状では不十分であることは言うまでもなく、無電柱化も含めて今後のまちづくりに期待したい。

 

(写真は左より道路側外観、上段の間、湯殿、厠の小便器)

(2015/06/15)