二川宿本陣

 二川宿は東海道53次における江戸から数えて33番目、三河の国に入って初めての宿場で、ひとつ手前は遠江国白須賀宿、次は三河国吉田宿である。


 二川宿本陣は近江国草津宿本陣とともに旧東海道で現存している2ヶ所の本陣のうちのひとつで、1807年(文化3年)から本陣廃止となる1870年(明治3年)まで本陣職をつとめた馬場家の建物を解体修理、失われていた書院棟を復元し、敷地奥に新たに資料館を新築して1991年(平成3年)に一般公開に至っている。その後、東隣の1817年(文化14年)に建てられた旅籠屋である「清明屋」の改修復元工事が行われ、2005年(平成17年)にオープンすることにより江戸時代の本陣と旅籠が併存して当時の雰囲気を味わえる貴重な施設となっている。


 街道から向かって左に宿泊棟への表門があり、その右に間口5間の玄関棟と間口8間の住居棟がともに平屋桟瓦葺きの平入りで棟を違えて併存している。表門の左には間口5間の「清明屋」が軒を並べていることから、門を含めて総間口22間余りにわたって往時の家並みが切り取られたように現出している様はなかなかのものである。


 どういうわけかわからないが、住居棟の台所土間はこじんまりとしている一方、玄関棟の板の間とそれに続く畳敷きの各室の数が多いのが特徴的で、板の間の街道筋に面した部分は荷物の出し入れのために蔀戸となっている。宿泊棟をみると、玄関広間が21帖もあるのは何か理由があるのだろうか。その先の畳廊下の左右に各室が二間続きで連なっているため、建具を開け放つと目の前一杯に敷き詰められた畳が広がり、幻惑されて方向性を見失うような気持になる。


 施設活用の一環なのであろう。新婚と思しき和服の婚礼衣装を着た二人が、カメラマンの注文に応じて建物を背景にあちらこちらでポーズをとっていた。


 街道を本陣から少し東にあるいたところに当時の商家「駒屋」の建物が残っており、近々解体修理を実施して一般公開する予定である旨の看板が立っていた。今後は新築建物も含めて街並整備が進むことを願わずにはいられない。

 

(写真は左より道路側外観、板の間、畳廊下)

(2014/10/20)