読書雑記「信長の城」

 藤沢周平は「信長ぎらい」と題したエッセイのなかで、若い頃は信長びいきであったが、作家となっていろいろな資料をあたり、殺戮に対する彼の嗜虐的性向を知るにつれ、彼の行いはヒトラーによるホロコーストや、ポル・ポト派による自国民大虐殺と変わるところがないのではないかと思い、自身の信長観は180度転回したと述べている。


 実のところ、わたしの信長観もこれと全く同様で、教科書程度の知識しかなかった頃は、信長は戦国時代のヒーロー的存在であったものだが、少し歴史の本を読めば、叡山の焼き討ちや一向一揆の虐殺をはじめとするサディズムの権化のような狂気が見え隠れする記述に遭遇し大変驚かされた記憶がある。光秀の謀反の訳は知る由もないが、こんな人間にこの先ずっと仕えていくのはかなわないと思ったとしても不思議ではない。


 ただし、この信長という生身の人間の存在を無視すれば、彼が築城や城下町の形成といった建築や土木の分野で残した足跡は、強烈な個の自覚にもとづいた近代人の幕開けを飾るものといってもよいかと思う。


 前置きが長くなったが、千田嘉博の「信長の城」は、考古学や歴史地理学の最新情報をもとに、信長が誕生した勝幡城から移り住んだ那古野城、清州城、そして彼が築いた小牧山城、岐阜城、安土城と各城に関する考察を時間軸に沿ってまとめたものである。


 なかでも安土城に関しては、これまでの解釈に対して、最近の発掘成果などをもとに自説を展開している。例えば、山麓から安土城に向かって一直線に伸びる大手道については、天皇の行幸のためであったとする説に対し、自身の権威を印象付けるためのビスタを意識した政治的演出であったとしている。また、天主の構造に関しては、これまでに発表された数々の復元案が、安土日記に記された平面規模と異なるとして、新たに懸け造りによるものであったのではないかと述べている。これらの当否は判断しかねるが、信長の性格や行動と照らし合わせれば、極めて説得性のある解釈ではないかという気がする。


 この種の本はとかく調査報告書とあまり変わりない、堅苦しい内容のものが多いのだが、本書は柔らかい文体で、できるだけわかりやすく説明しようとしていることが伝わってきて、好感の持てるものとなっている。

いずれは著者による安土城の復元案を見てみたいものである。

(2013/07/05)