六月の雨

「六月の雨には六月の花咲く」と、確か小椋桂の詩の一節にあったと思うが、六月の梅雨時に咲く花の代表といえばやはりあじさいであろう。この時期近くの公園に行けば必ずといっていいほどひと群れのあじさいを見ることができるし、民家の庭先に植えられたり、あるいは軒先に鉢植えで置かれていたりと思いのほかあちこちで目にする。都心では誰が植えたか知らぬが、街路樹の足元のわずかな土を惜しむかのように数株のあじさいが植えられて、この時期には街路樹本体よりも足元に咲く花が道行く人々の目を楽しませている。


 宇治にある三室戸寺は花の寺として有名で、5月にはつつじや石楠花、6月にはあじさい、7月には蓮の花が満開となり観光客で賑わう。広い庭園の中であじさいの植えられている一帯は大きな杉が点在しており、杉木立の中を散策しているように感じるときがあってなかなか趣があるのだが、やや本数が少ないために全体の印象には欠ける。もう少し杉の本数を増やして杉木立とあじさいのしっとりした空間と、つつじの大規模な刈り込みによる明るい空間とがほどよい対比を示すようにしたらどうかといつも思う。


 ところであじさいの語源は諸々あるなかで、藍色が集まったものを意味する「集真藍(あづさい)」がなまったものというのが有力であるそうで、やはりあじさいというのは古代から藍色に咲くひと群れの花ということなのだろう。現代では様々な品種改良にもよるのか、花びらにしても丸いものからとがったもの、一重から八重など多種多様で、色も赤から青の一般的なもののほかに、白やピンクのものがあったりする。ただ、西洋種のものは別として、和種のものはどの形、色をとっても極めて日本的な印象を受けることに驚く。とくにがくあじさいの類は形について言えば可憐で繊細、色についてみれば少しフィルターがかったような淡い色で何ともいえぬ味わいがある。あじさいが好まれるのは、その植生は別としてもこうした花の持つたたずまいにわれわれが魅かれるからでもあるのだろう。


 シトシトと続く長雨には閉口するが、雨に洗われたあじさいの美しさはまた格別のものがあり、そう思えば長雨もそれほど苦にはならないものである。

(2013/06/25)