「小さいおうち」は本屋の新刊文庫本コーナーに平積みとなっていた。職業柄どうしてもこういったタイトルの本には手が伸びてしまう。子供向けのファンタジーのような内容かと思ったのだが、あにはからんや、昭和の初めに建てられた小さな洋風住宅を舞台とした巧妙な物語が描かれており、このタイトルそのものも物語の内容を極めて象徴的にあらわしているものだった。
昭和5年、尋常小学校を卒業した布宮タキは故郷の山形を後にして、女中奉公のため東京に出る。初めの1年ほどを小説家の屋敷で働いた後、夫婦と小さい男の子のいるサラリーマン家庭に移る。その奥さんの名は時子といい、タキとは8歳違いであった。ほどなく夫を事故で亡くした時子は一時実家に戻った後、ひとまわりほど年の違う平井と再婚し、タキは時子について平井家で働くことになる。やがて一家は郊外に小さな赤い屋根の洋風住宅を建て新しい生活を始める。
それから約12年間、タキは若く美しく誰からも好かれる時子と、主人と使用人という関係を超えた、姉妹のような仲睦まじい日々を過ごすのだが、ある出来事が二人の間に微妙なしこりを生じさせたまま、東京大空襲が激しくなる中、昭和19年に山形に帰ることとなる。戦争が終わり、再び東京を訪れたタキは平井夫妻が空襲で亡くなったことを知る。
高齢期を迎えたタキが書き留めた回想録の形で書きすすめられてきた物語は、彼女の死をもって一旦終了するのだが、そのバトンはタキの甥の息子である健史に渡されて、ミステリーめいた展開をみせるとともに、タキと時子の間に起こった出来事の真相も明らかになる。
タキが青春期を過ごした小さな赤い屋根の洋館は、本文中では「間取りは当時流行した「中廊下型」で、家のまん中を南北に分ける板廊下がまっすぐ走っている。日当たりのいい南側にはお部屋が三つ。玄関脇が、奥様お気に入りの応接間兼書斎の洋室で、(中略)そのお隣が畳のお部屋の居間、続きがご夫妻の寝室。その二つの部屋は南にある庭との間を縁側で仕切られていたが、とくに寝室の南の広縁の部分は、サンルームと呼ばれていて、(中略)中廊下を挟んで北側には、台所、お風呂、ご不浄などの、水回りが並ぶ。わたしの寝起きする女中部屋は、この北側にあった。玄関右手の、二階へ上がる階段の裏側がわたしの部屋だった。」と書かれている。
文中にもあるとおり、これは建築史的にも「中廊下型」と呼ばれるもので、大正末から昭和の初期にかけての少し裕福な家庭の典型的な間取りであり、そこにはほぼ例外なく「女中室」という3帖ほどの小さな部屋が設けられていた。洋風の外観が新しいものに対するある種のあこがれをもって受け入れられたのだろうが、このプランは接客空間に重きを置いていること、家事の合理化がはかられていないこと、そして使用人の居住を前提としていることなど旧来の住居観にもとづいている点が多いことから、次第に姿を消していく。
女中と言う言葉もそれが持つマイナスイメージのゆえに、次第に使われなくなっていくのだが、そこにはこの物語のタキと時子が過ごしたような幸福な時間も流れていたことを忘れてはならないように思う。
(2013/05/25)