読書雑記「キャパの十字架」

 写真に少しでも興味のある人であれば、ロバート・キャパという名前と、彼が撮影した「崩れ落ちる兵士」という一枚の写真はどこかで目にしているはずである。

この「崩れ落ちる兵士」は1930年代のスペイン戦争時に、共和国軍兵士が反乱軍の銃弾に当たって倒れる瞬間を撮影したものとされ、アメリカの雑誌「ライフ」に掲載されることにより、報道写真家、とりわけ戦場報道写真としての彼の名声を確立したと言われている。


 ところが、この写真を巡ってはキャパ自身が何も語ってこなかったことと、ネガが存在しないことのために、発表された当時からその真贋について疑問視する声が上がっていたということである。


 沢木耕太郎はロバート・キャパの伝記本「ロバート・キャパ」(リチャード・ウィーラン著)を翻訳する過程でこの真贋問題を知り、自らが結論を導き出すべく東奔西走し推理を重ねるのだが、それをまとめたものが「キャパの十字架」という本である。


 話を進める前にキャパの生い立ちが書かれており、それによると、キャパがパリでカメラマンとしてスタ-トを切り始めた頃、ゲルダ・タローという美しい女性と恋仲となり、やがて彼女はキャパのマネージャー的な役割を果たす。文字どおり公私ともに二人三脚で歩み始めたわけであるが、この時二人は有名なアメリカ人カメラマンというふれこみで「ロバート・キャパ」なる架空の人物を作り出してこれが見事に当たる。つまりロバート・キャパというのはいわゆるアーティストネームであり、ハンガリー生まれの彼の本名は「エンドレ・エルネー・フリードマン」と言う。ちなみに、ゲルダ・タローという名もモンパルナスの芸術家仲間であった岡本太郎にちなんだもので、本名は「ゲルダ・ポホリレ」であった。やがてゲルダ自身も写真を撮影し、それが評価されるに従い二人は別行動をとるようになるのだが、ゲルダは1937年7月マドリード郊外の戦闘を撮影後乗ったジープに暴走した戦車が衝突してわずか26才で亡くなる。


 「崩れ落ちる兵士」の真贋がはっきり問題になり始めた1970年代以降、新たに発見された資料をもとに様々な報道があったもののいずれも決定的な証拠に欠けていたのだが、2009年にスペインの映像論を専門とする大学教授であるJ・M・ススペレギが「崩れ落ちる兵士」の撮影された地を特定し、この写真はポーズを取らせて撮影されたものだとの研究結果を発表する。沢木はこのススペレギ説を検証した上で、独自の観点から自らの推理を進めていくことになる。掲載されている写真がやや不明瞭なため、説明している内容を読者が確認できない個所が多々ある点にもどかしさを感ずるものの、推理の過程はスリリングであり、彼の導き出した結論とは意外なものだった。


 本の内容に沿ったTV番組が既にNHKで放映されており、彼の結論を知っている人も多いかとは思うが、これから読む人のためにここではそれは記さないこととする。


 いずれにしても、20代の初めで重い十字架を背負い、それから約10年を経て、贖罪となるべき一枚、ノルマンディー上陸作戦の「波の中の兵士」を撮影したキャパは、その後報道写真の一線から退いたものの、1954年急遽派遣されたインドシナ戦争で地雷を踏んで死ぬ。そして今年2013年は1913年生まれのキャパにとって生誕100年ということになる。


 カメラマンとしての歩みを始めた頃のキャパとゲルダが共に戦場に向かう後ろ姿をとらえた写真と、それぞれが最後に撮影した写真を巡る沢木のモノローグは、読む者に深い余韻を覚えさせずにはいられない。

(2013/04/15)