香川真司のパーソナルスペース

 新聞のスポーツコラム欄に「最近の日本人サッカー選手はパーソナルスペースをどんどん狭くして活躍しているようだ」とあり、興味を覚えて読んだ。


 それによると、「他人が侵入すると不快感を覚える心理的な縄張りのことをパーソナルスペースと呼ぶ」とした上で、「最近の日本人選手の活躍をみると、パーソナルスペースをどんどん小さくしているようだ。(マンチェスター・ユナイテッドの)香川真司はゴールを背にして相手に囲まれた狭い空間でボールを足元に要求する」「(こうした状況下にある香川に対して)ルーニーは平気でパスを出すが、若い選手は出せない」と述べ、「一流選手は、プレーできると考えるスペースがそうでない選手に比べて狭いことは、ラテン系の人々が他の民族に比べてパーソナルスペースが狭いということと考え合わせたときに、興味深い話である」とまとめている。


 なるほどとは思ったのだが、どこか腑に落ちないところがある。まず、「他人が侵入すると不快感を覚える心理的な縄張り」をパーソナルスペースと定義しているのは、1960年代にプロクセミックスという概念を提示したE・T・ホールの研究をベースとしていると思われる。彼は人間のもつ心理的距離を、密接距離(intimate distance)、個体距離(personal distance)、社会距離(social distance)、公衆距離(public distance)の四種類に分類しているのだが、これらはあくまでも一般の社会的環境のもとで考えられるもので、一定のルールのもと一定の時間行われるスポーツに於いて適用できるものではないであろう。


 例えば、柔道とかレスリングとかいった常に相手と接している格闘技に於いて密接距離云々ということが果たして関係してくるだろうか。サッカーの場合も、球の奪い合いやゴール前の密集した場合ではほとんど格闘技に近いプレーも見受けられる。また、ドイツ人は自我が強く、密接距離がラテン系の人々と比べれば大きいと思われるのに、ワールドカップも制覇しているサッカー強国である。

 

 香川選手が敵のプレーヤーに囲まれながらもプレーできるのは、ひとえにテクニックとスピードのたまものなのであり、マンチェスター・ユナイテッドの選手同士ではそうしたプレーがごく当たり前のものとして浸透している。そして日本のJリーグではまだそうしたプレーが特別なものに見えるということで、同じプロリーグでもかくもレベル差があるということなのだろう。


 そうしてみると、新聞のスポーツコラムニストが述べていたサッカーに於けるパーソナルスペースというのは、むしろプレーイングディスタンスとしたほうがよいのではないだろうか。そして、密接距離でもプレーできる選手が優秀であることは言うまでもないのであるから、プレーイングディスタンスは小さいほうがよいことは言うまでもない。そしてこれとは別にプレーイングエリアという語を用いることを提案したい。こちらはディフェンダーの位置からサイドをかけあがる長友選手のように広いほうがよいということになる。


「プレーイングディスタンスは小さく、プレーイングエリアは大きく」というわけである。


 と、こんなことを書いている間に、香川選手がハットトリックを達成したというニュースが入ってきた。

You Tubeをみると、ルーニーのアシストが効果的な2ゴールを含めて、いずれも彼らしいスピードを活かしたテクニカルなゴールであった。

(2013/03/05)