曼陀羅園の離れ

 昭和の初期に建てられた住宅が改修中で見学会を行うとの連絡があり、日本列島が寒気団に包まれた2月のある寒い日、京都に足を運んだ。


 東山区今熊野の京都女子大の南側、やや谷状になった土地に2軒の戸建て住宅と6軒の長屋が建築当初の状態をかなりよく留めたまま残っており、今回改修しているのは戸建て住宅のうちの1軒の離れであった。この付近は豊臣秀吉を祀った豊国廟があり、太閤坦(たいこうだいら)と呼ばれ、京都市域拡大に伴う大正期の住宅開発の際には、高級住宅地として多くの邸宅が建てられた地域である。武田五一の伊谷邸や村野藤吾の中林邸も建てられていたのだが、つい最近取り壊されて今はない。時代はやや下る昭和の初期に、戸建て住宅2軒と長屋住宅22軒が、4人の共同開発によって建てられ、この住宅地は「曼陀羅園」と呼ばれた。この呼称の由来ははっきりしないとのことであったが、目と鼻の先に真言宗の智積院があることから、開発した4人が信徒であった可能性が高いのではないかと思う。


 西側道路からL型に進入道路を設け、これに沿って住宅を配しているのだが、道路北側ブロックが良好な状態で残っているのに対し、南側ブロックは全て建て替えられており、東側ブロックは改修が甚だしい。北側ブロックの長屋は真壁造の2階建で、板塀や前庭があり、かつての都市住宅の面影が偲ばれる。玄関上部の2階には下地窓が設けられるなど数寄屋風の意匠を取り入れている。


 今回見学できたのは、北側ブロックの東端に位置し、木造2階建の主屋と中庭を介して廊下で結ばれた平屋の離れであった。式台風の玄関をあがると、3帖ほどの玄関の間があり、右手に3間×3間、18帖の座敷が続いている。座敷の南側と東側は廊下がL型にまわり、小さく仕切られたガラス窓が全面に建て込まれており、全体で5間×5間の空間を寄せ棟の大屋根がトラス構造で架けられていた。内部造作はとりたてて凝ったものではなく、高価な材料を使ったものでもない。長押をまわして天井は格天井という典型的な書院造の意匠だが、どういうわけか柱は丸柱を用いている。廊下の天井は棹縁に細い丸太を垂木とした化粧天井となっている。全体的には数寄屋の造りであるが座敷のみ格式を重んじた書院造としたというところであろう。


 日本建築の良さというのはおしなべてそうなのであるが、この離れも内部造作云々というよりも、廊下に建て込まれたガラス戸を透して前栽と中庭の植栽を見通す内外の一体感にその良さがある。中庭の手入れはこれからのようであったが、是非とも手を加えてしっとりとした雰囲気を取り戻してほしいと思った。


 ところで、この住まいの所有者はもともと古い家が好きで、新居を探していたところ曼陀羅園を見つけ、念願叶って長屋の1軒に住むことができたのだが、以前から気になっていたというこの住宅が空き家となり売りに出たため、人手に渡るくらいならと購入してしまったということである。今後は日本家屋の良さを若い人や子供に伝えるような活用方法を模索していきたいと述べられていた。


 古い建物を愛し、手を加えて使い続ける人がいるということにささやかな感動を覚えた一日であった。

(2013/03/05)