オルフェーブルとジェンテルドンナの2頭が出走を回避したことで、昨年末の有馬記念の興味は半減したのだが、豪快に差し切って勝ったゴールドシップは皐月賞と菊花賞の2冠馬で、今年楽しみな馬がまた一頭増えた。
というところで今回は本業の建築に関する話に目を転じることとする。
去る1月7日に東京オリンピック招致委員会が立候補ファイルをIOCに提出したが、競技施設のなかで目玉となるのはなんといっても新国立競技場で、昨年日本では久々となる大型コンペが行われ、ザハ・ハディドが最優秀案に選ばれたものの、応募資格や募集期間に関してネット上でかなり批判的な意見が交わされたことはまだ記憶に新しい。
こんなビッグプロジェクトとは縁もゆかりもない者ではあるが、このコンペに関していくつか気になったことを記したい。まず、誤解されては困るのだが、主催者及び社会全体の建築や建築家にたいするリスペクトの無さを強く感ずることである。コンペのメディア発表から募集要項に至る間の主催者側のチグハグぶりは多くの人が指摘しているとおりであるが、特にコンペの最優秀者は基本設計、実施設計、施工の各段階でデザイン監修にあたり、基本設計、実施設計者は今後公募型プロポーザルで決めるという点に大きな問題がある。これでは最優秀者のデザイン及び立場がどのように担保されるのか全く不明である。少し厳しいことを言えば、今回のコンペは立候補ファイルに掲載する絵が欲しいだけで、その後のことは改めて考えましょうと言っているのに等しい。
個人的には、隣接する東京都体育館を設計した槇文彦や、OMA、ヘルツオーグ&ド・ムロン、安藤忠雄を敬愛するピーター・ズントーなどの有資格者の提案をみてみたかったと思うのだが、提出期間と応募要項を吟味した結果断念するに至った(というかボイコットした?)者も多かったのではないだろうか。
次に、コンペのオープン性への疑問がある。情報把握不足の点があれば申し訳ないのだが、知る限りにおいては審議過程に関する広報は全く行われなかったように思う。応募資格の閉鎖性については今更言うまでもないのだが、参加した46案をどうして全て公表しないのだろうか。また、一次審査及び二次審査の過程はどのようなものだったのだろうか。委員長である安藤忠雄の講評だけは発表されたが、他の委員の意見はどうだったのだろうか。コンペで最も重要な事は良い案が選ばれることであることは言うまでもないが、審議過程の透明性ということもこれに劣らず重要なことである。経験豊かな人物が委員に含まれながら、どうしてこのような進め方となったのであろうか。
少し古い例だが、せんだいメディアテークのようにオープンな審議過程を経て、素晴らしい建築が誕生した例もあるにもかかわらず、このようなビッグプロジェクトでオープン性に関して全く後退したコンペとなったことは極めて残念に思う。
更に言うなれば、今回のコンペそのものに対する良否に言及せざるを得ない。ザハ・ハディドのデザイン自体は魅力的なものであり、この趣旨が損なわれることなく実現されればコンペを開催した意義も認められるのであろうが、現状をみればこれはかなり楽観的な見方と言わざるを得ない気がする。少なくとも一連の経過に関しては悪しきコンペの良い例として語り継がれるのではないだろうか。
(2013/01/15)