萩と草花図

 萩は秋の七草のひとつに数えられ、古来日本人がめでてきた草花の代表とも言える。萩の寺、萩の名所という呼称を持つ寺院、旧跡が日本全国に見受けられるのは、このことを良く物語っている。関西では、京都に梨木神社という萩の名所があり、ここは京の名水のひとつ、染井の井戸があることでも知られて、普段からペットボトルを持参して水を汲む人が絶えないのだが、9月の開花時期には花を楽しむ人で賑わう。大阪には、豊中にある東光院という曹洞宗の寺院が萩の名所として名高い。もう20年以上前になるが、近くで小さな住宅を設計していたことがあり、何度か立ち寄ったのだが、萩についての印象はあまり残っておらず、萩の季節ではなかったのかもしれない。


 ところで、秋の七草は山上憶良の、秋の野花を詠む歌2首、「秋の野に 咲きたる花を指折り(およびおり)かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」「萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花」に端を発しているとのことであるが、清少納言は枕草子のなかで、草の花は、萩、山吹、夕顔、下野、葦などを挙げた上で、やっぱり秋の野と言えば薄が一番よネ、などと言っている。憶良の七草と重なるのは萩とすすきだけというのはどういうことかわからないが、少なくともこのふたつの草花については共通の美意識が存在したということであろう。


 いわゆる琳派の描いた草花図のなかにも、萩とすすきはよく取り上げられており、俵屋宗雪の「秋草図屏風」には、萩、薄、菊、芙蓉が、伊年印の「月に秋草図屏風」には萩、薄、桔梗が、酒井抱一の「夏秋草図屏風」には秋草として薄、葛、女郎花、桔梗が描かれている。光琳の風神雷神図の裏に描かれた抱一の「夏秋草図屏風」は、右隻の流水がどうも作為的で気になって仕方がないのだが、それはさておき、ステレオタイプ的な表現にもかかわらず(であるからこそとも言えるかもしれないが)、思わず感情移入させられる魅力がこの絵にはある。


 おそらく、日本人の自然にたいする細やかな感性を余すところなく描ききっているからではないかと思うが、外国人にはこうした絵はどのように映るのだろうか。


(画像は、左2枚が梨木神社、右上が伊年印の「月に秋草図屏風」-俵屋宗達/ABCアートビギナーズコレクションより、右下が酒井抱一の「夏秋草図屏風」-琳派の愉しみより)

(2012/10/05)