100年前の町

 井上ひさしの「ボローニャ紀行」は、ボローニャという都市の歴史と市民の日常を飾ることなく伝えて、大変参考になるのだが、少々本筋からはずれることを承知で言うと、この本の中で最も印象に残ったのは、「世界中からこの日本にたくさんの観光客を集めるには、どうしたらいいでしょうか」と、ある高名な建築家に訊ねたところ、「いま現にある建物や街並みを、そっくりそのまま百年間保存してごらんなさい。日本の百年前の姿を観るために、それこそ世界中から人が集まってきます」という返事が一も二もなく返ってきたという箇所である。


 その後、古い建物や街並みをそっくりそのまま保存しながら、いまの生活にも役立てる知恵こそボローニャ方式であると続くのだが、それはさておき、いまだにスクラップアンドビルドを繰り返す日本の建築事情にいささか嫌気がさしているものとしては、この言葉は日頃の鬱憤を多少なりとも晴らしてくれる上に、なかなか示唆に富むものであると思う。


 実際、わが国でも景観法や歴史まちづくり法の制定により、歴史的なものに対する取り組み方のメニューが整いつつあるし、もっと身近な例で言えば、大分の豊後高田市では百年前とまではいかなくとも、昭和の建物をできるだけ残した街並みが評判を呼び多くの観光客を集めているという。


 日本に現存している(使用されている)RC造の集合住宅で最古のものは、同潤会の上野下アパートメントで1929年(昭和4年)、つまり今から約80年前。また、日本で建設された最初のRC造集合住宅は軍艦島30号棟で、1916年(大正5年)竣工、ほぼ約100年前ということになる。


 木造建築に目を転ずると、法隆寺をはじめとする国宝や文化財クラスは別として、戦災の影響が少なかった京都の町家などはバブル期の乱開発で相当数がなくなり、まとまって残っているのはいわゆる伝建地区のみである。つまり100年前の建物など日本ではほとんど残っていないということであり、もしひとつの町ごと100年前の姿が留められていれば、これはもう奇跡としか言いようがないのである。


 そしてその奇跡のようなことが西欧の都市ではあたりまえのこととしてそこにある。これは木の文化と石の文化の違いという単純なものではなく、要は古いものに対する認識の基本的な違いということなのだろうと思う。


 一世帯を経ると見ていた景観が一変してしまうというようなことが果たしてよいのだろうか。親と子の原風景が全くかみあわないなどということが果たしてよいのだろうか。コストとその対価という経済指標は人間活動の判断材料のひとつにすぎない、という考えは決してマイナーなものではないと思うのだがどうだろうか。


(左写真は「百年前の日本・モースコレクション」より銀座(1900年)-あたり前の話だが、百年前の東京は木造都市だったのである。右写真は「幕末維新・彩色の京都」より祇園祭(1910年頃)-祇園祭とは本来こういうものであったのだ。)

(2012/08/22)