ボローニャで買ったさくらんぼの思い出をつづったブログを読んだ友人から、設計を生業としているものが、ボローニャの建築のことに触れないのはどうだろうかと指摘を受けた。余計なお世話だとは思うが、半ば正論だという気もするので、そのあたりのことを書こうとするのだが、何せ今から10年以上も昔のこと、しかもボローニャには夕方着いて、翌日の昼過ぎにはラベンナに向かうという旅程であったことから、建築や街並みに関する印象もあまり深くないのである。
その中で、唯一と言ってよいほどイメージが残っているのは、サンペトロニオ聖堂前の広場の聖堂ファサードと正対する位置にある(なんの建物だったか思いだせないのだが)ロッジアのオープンカフェでカプチーノを飲んでいたときの情景である。広場に人は少なく、そこかしこにハトが舞い降りて何かついばんでいて、聖堂の未完成なファサードだけが荒々しいレンガの肌をさらけだして屹立している。まるで、16,7世紀にタイムスリップしたような、あるいは、キリコのシュールリアリズム絵画でもみているような感覚にふと陥る瞬間。イタリア旅行をしていると、街はずれの人気のない小さな通りや広場の片隅でこうした感覚に時々おそわれる。場所の不在と方向の不在、そして自分自身の不在。堆積された時間だけがそこにある。キリコの絵はまさにそうした状況下で軽いめまいにおそわれる瞬間を描き留めたものなのだろう。
ボローニャといえばポルティコ(柱廊)で、要するにこれはアーケードなのであるが、そのスケール感の素晴らしさと柱や天井の美しさ、これが建築の一部としてファサードを構成しており、連続することによって街路の景観を形作っている。そもそもボローニャ大学に来た学生たちを迎えるための増床措置からはじまったものだそうだが、今ではその総延長は42kmにも及ぶそうである。井上ひさしの「ボローニャ紀行」にそんなことが書いてあった。
アッシネッリとガリゼンダの二本の塔はもちろん見たのだが、ガリゼンダは傾きすぎて危険とのことで、仮設足場に囲まれて工事中の様子。アッシネッリのほうは上る事ができたようだが、時間がなくて見送り。それにしても、この傾きは尋常ではなく、仕事柄一体耐震補強はどうしているのだろうと思ったりして、時間があっても上がったかどうかはかなり疑わしい。
あと、記憶にあるのはボローニャ大学の校舎だった建物で、たしか歴史博物館のような使われ方をしていたように思う。ここの中庭もスケール感が良かったような印象が残っている。と、記憶の糸をたぐりながらのたよりないボローニャ建築案内。ところで、サッカーの中田選手がボローニャで活躍するのはこれより少しあとのことで、その頃行っていれば、さくらんぼもおまけしてもらったのではないかと思っている。どういうわけか話が戻ってしまった。
(2012/08/01)